カズーイ物語「起業家編」~父の死、叔父の脅迫。全てを失い絶望したとき僕を支えた言葉とは~

「序章」~トラウマとコンプレックスが僕の人生を変えた~

「少年編」~好きな子に「キモい」と言われた学生時代~

「青年編」~挫折と堕落、人生を狂わせた人物との出会い~

「起業家編」~父の死、叔父の脅迫。全てを失い絶望したとき僕を支えた言葉とは~←今ココ

「自分編」~自分しか歩めない美しき人生を送るために~

 

 

ネットビジネスの世界に足を踏み入れてから、

約半年ほどの時間が流れていました。

 

この半年間で様々な事を学んできた僕は、

半年前より確実に進化している実感があったし、

ちょうど新年を迎えた時期でもあったので、

飛躍の1年にしようと意気込んでいました。

 

それに半年の間に、父から就職を進められたりして、

心配をかけていることも自覚していたので、

早く安心させて上げたかったのです。

 

 

しかも、うちの家庭は高齢出産で、

両親2人とも還暦を過ぎていたんです。

 

だから、あんまり無理をさせるわけにもいかなったし、

今のうちに親孝行もしておきたかったので、

「しっかり稼げるようになったら旅行でも連れて行こうかな」

なんて考えてもいたわけです。

 

 

そんな目標も僕の頑張り次第では、

この1年で十分達成できる範疇でした。

 

実際、最初の滑り出しは凄く順調で、

本格的に始めて1~2ヶ月で月5万円くらいは稼げるようになったし、

1年以内に月収100万円も夢ではなかったんです。

 

 

「心配かけてごめんな、もうちょっとだから待ってて」

 

そんな思いを胸に、成功と自由を手に入れるために、

僕は日々、勉強と実践を繰り返していました。

 

 

そんな、ある日・・・

 

 

僕はいつも通り自分の部屋で作業をしていました。

 

すると、確か19時30分くらいだったでしょうか、

突然、1階から母の叫び声が聞こえたのです。

 

 

何事かと思い降りて行くと、そこにはなんと倒れている父が!

 

お風呂に入っている時に滑って尻もちをついた拍子に、

首に激痛が走って身動きが取れなくなったみたいなんですが、

何とか床を這いつくばって、母に異変を知らせたらしいのです。

 

ちょっと動かしただけで痛そうに呻き声を上げるし、

おまけに手に全く力が入らないので、

只事ではないことはすぐに分かりました。

 

 

母は完全にパニック状態。

 

僕もぶっ倒れている父を見て、

一瞬、頭が真っ白になりました。

 

しかし、なんとか呼吸を整え、

 

「救急車を呼ぼう」

 

という一言を頭の中から絞り出します。

 

 

暫くしてなんとも不快なサイレン音と真っ赤な光を、

灯してやってくる救急車。

 

自分の身内が(しかも親が)救急車で運ばれる姿を初めて見た瞬間でした。

 

 

搬送された病院は、自宅近くでは1番大きな病院で、

僕も子どもの頃からお世話になっている病院でした。

 

その病院で検査を受けたところ、

僕と母は衝撃の事実と直面することになったのです。

 

 

なんと父の首の骨は細菌に侵されボロボロの状態で、

尻もちをついた時の衝撃で骨が潰れてしまっていたのです。

 

しかも、その時の骨の歪みによって神経が圧迫され、

手が麻痺状態になっていることが判明しました。

 

倒れる1週間前ぐらいから首が痛いと言っていたんですが、

まさかこれほど重傷だったとは思いもしませんでした。

 

 

このまま放っておくと一生寝たきりになる可能性もあるらしく、

すぐに手術をしなければならない状態らしいのですが、

今いる病院ではそんな大きな手術は出来ません。

 

そこで、もっと大きな病院に緊急搬送されることになりました。

 

 

救急車には1人しか乗れないため、

僕は車で後から追いかける形で搬送先の病院に向かいます。

 

病院に着くと、すぐにICU(集中治療室)に運ばれる父。

 

そこで父とは別れ、僕は一度家に帰り、

母は病院に泊まることになりました。

 

 

翌日の手術では出血が酷く、

5時間にも及ぶ長い手術となりましたが、

なんとか無事に成功しました。

 

全身麻酔から目覚めたばかりの朦朧した状態で、

「心配かけて悪かったなぁ」と呟く父。

 

その姿を見て、僕も母もホッと胸を撫で下ろしました。

 

 

その後は少しづつですが体調も良くなってきて、

自分で食事を取ったり、リハビリを始めるくらいまで回復。

 

どうやらリハビリを続けても歩けるようにはならないみたいですが、

手はそれなりに動くようになったので、車イスに乗れば生活は問題なさそうです。

 

 

もうすぐ春になる時期だったので、「退院したら花見に行こう」と、

お見舞いに来てくれた叔母たち皆で話したのを覚えています。

 

 

 

ところが・・・

 

 

残酷な運命は僕に容赦なく襲い掛かってきました。

 

 

「お父様が危篤です。すぐに病院に来て下さい!」

 

ある日の朝、いきなり病院から電話が掛かってきました。

 

すぐに病院に向かうと、そこには意識の無い父が。

 

どうやら誤嚥性肺炎を起こしてしまったらしいのです。

 

 

父は石材店を営んでいたので、

現役の頃にかなり石粉を吸い込んでいるため、もともと肺の状態は悪く、

還暦を過ぎてからは酸素ボトルを常用していました。

 

そこに誤嚥性肺炎が重なるとなると、

かなりマズイ状態なのは素人の僕でも分かります。

 

 

しかも、実を言うと父は1年前に癌の手術をしたばかりでした。

 

そんな、まだ体力が完全に戻っていない状態での今回の首の手術や、

首の細菌を殺すための強い薬による副作用の影響なども重なって、

どんどん父は弱っていったのです。

 

 

そして入院から2ヶ月半が経った、桜も散りかけた季節・・・

 

 

まだ65歳だった父は静かに息を引き取りました。

僕は当時23歳でした。

 

 

親族は皆泣いていました。

 

僕はこれからの事を考えると、

悲しさよりも不安で胸がいっぱいでした。

 

「これから、どうなってしまうんだろうか・・・」

 

 

特に僕には大きな懸念材料が1つあったんです。

 

それが叔父(父の弟)の存在。

 

 

僕の叔父は親族の中でも嫌われている問題児で、

過去に横領、覚せい剤、恐喝などで逮捕歴のある、

どうしようもない人だったのです。

 

親に甘やかされて育ち、ずっと兄に守られて生きてきた人なので、

努力もできず、責任もとれず、教養もない。

 

自分のことしか考えていない、そんな人でした。

 

 

そんな人間と遺産や相続の事で揉めるのは、

もはや火を見るより明らかだったのです。

 

 

そして、恐れていた現実は、

父の死から僅か数日でやってきました。

 

 

父の葬儀が終わって、やっと一息つけると思い休んでいると、

突然、叔父がやってきて話があると言われたのです。

 

話の内容は叔父の借金について。

 

 

10年以上前に1000万円の借金を自分で作ったのが、

まだ返しきれていなかったのです。

 

でも僕と母は、そんなの知ったこっちゃありませんでした。

 

 

しかし、素晴らしい人間性を持たれた叔父様ですから、

他人の迷惑なんて考えもせず、いきなりこんなことを言ってきたのです。

 

叔父「あんたか息子(僕)のどっちかが債務者になれ。じゃないと家が取られるんじゃ」

 

母「取られるもなにも、あんたが作った借金でしょう」

 

叔父「まぁそうなんじゃけど。今日夜9時頃に話し合いするから」

 

・・・と、自分が作った借金にも関わらず、

全く悪びれる素振りも見せず、一方的に日程を決める叔父。

 

 

「でも債務者ってどういうことだろう。親父は連帯保証人だった筈だし・・・」

 

なんかもう嫌な予感がプンプン漂っていました。

 

 

そして夜の9時。

 

叔父と叔父の(元)奥さん、

それから銀行との間を取り持ってくれている社長さんが家にやってきて、

僕を含めて5人で話し合いが始まりました。

 

 

話し合いでは僕と母が知らされていなかった、

驚愕の事実が次々と明らかになりました。

 

・借金の総額は1000万円ではなく2000万円だった

・その借金はまだ700万円も残っている

・父は連帯保証人ではなく債務者だった

 

厳密に言うと、最初は父が連帯保証人だったみたいなんですが、

叔父が数年前に恐喝で逮捕された時に、

銀行から信用が無くなるのを庇って債務者になったようなのです。

 

しかも、その時に500万円を支払っていたのだとか。

 

僕が東京に住んでいた頃、父が急に仕送りできなくなったのは、

どうやらこの500万円が原因だったようです。

 

 

ただ、そんな事は、その時の僕にはどうでも良かった。

 

それより重要なのは、このまま父の遺産を相続すると、

僕は叔父の借金まで背負わなければならなくなるということです。

 

マジあり得ない。

 

23歳で700万円の借金、しかも他人の。

 

こんな理不尽な事がまかり通ってたまるものかと、

僕は当然「自分で払え!」と突っぱねました。

 

しかし、叔父は「俺には関係無い」と言いたげな表情。

 

 

話し合いを進めている時も、4人が今後について一生懸命話している中、

張本人である叔父だけは退屈そうに、そっぽを向いてあぐらをかいている始末。

 

その態度に腹が立った僕は、

つい感情に身を任せて暴言を吐いてしまったのです。

 

「アンタが殺したいほど憎い」

と。

 

 

僕も母も、この男の数々の厄介事によるストレスが無ければ、

もっと父は長生きできたのではないかと思っているところがあったので、

ついつい言い過ぎてしまったのです。

 

でも、もっと冷静に行動しておけば良かった。

 

 

我慢できなくなった叔父は「うるせぇ!」と逆ギレ。

 

正直「なんでお前にキレられなきゃいけないんだ?」と思いましたが、

これ以上、面倒な事になるのはイヤだったので、

言い返したい気持ちを抑えてグッと飲み込みました。

 

 

で、なんとか話し合いは終了。

 

取り敢えず社長さんが銀行に掛けあってくれるということで、

話はまとまりました。

 

叔父は不機嫌そうでしたが、

社長や元奥さんに「アンタが悪い」とハッキリ言われて、

渋々、納得しているようでした。

 

 

これで一件落着。

 

また平和な日々が戻ってくる。

 

 

・・・と思っていました。

 

しかし、僕の叔父は、

僕が想像しているよりも遥かに自分勝手な人だったのです。

 

 

22時30分。

 

いきなり鳴りはじめた固定電話。

 

こんな夜遅くに自宅にかかってくる電話なんて、

もう1人しかいません。

 

 

叔父「おい、息子に替われ!」

 

帰ってから1時間くらい経っていたので、

恐らく酒でも飲んで気が大きくなって電話してきたのでしょう。

 

母が「イヤです」と、僕に替わることを拒むと、

 

叔父「△□◯×・・・」

 

もう頭に血が登りすぎて何言ってるか分かりません。

 

 

当時、叔父は還暦だったのですが、

20歳そこそこの僕に楯突かれたのが余程気に入らなかったのでしょう。

 

難癖つけて自分の借金を払わせようという魂胆もあったのかもしれません。

 

 

グダグダと僕や母に散々悪態を付いた後、

挙句の果てには「お前ら殺してやろうか!」と脅されたのです。

 

 

完全に頭に血が登っていて、

このままだと家まで押しかけて来そうな雰囲気だったので、

身の危険を感じて実家を夜逃げ同然で逃げ出しました。

 

 

こうして僕は僅か5日で親も家も失ったのです。

 

 

ちなみに、暫くして実家に立ち寄ってみると、

家には何も変化はありませんでしたが、インターホンがもぎ取られていました。

 

恐らく僕と母が実家を出た後、頭に血の登った叔父が来て、

抑えられない怒りをインターホンにぶつけたのでしょう。

 

「スケールちっちゃ!」と思ったのは言うまでもありません。

 

 

 

夜逃げ後は叔母(母の妹)の家で居候させてもらうことになりました。

 

怒涛の5日間が終わり、ホッと一息ついたのも束の間、

今後の事を考えると頭が痛かったです。

 

おまけに僕も母もストレスで体調を崩し、

食事を取ると吐き気に襲われる毎日でした。

 

 

母は「もう、イヤだ」と泣いていました。

 

そんな母を見ると自分の無力さを痛感して情けなかったです。

 

 

ですが、そんな状況の中でも意外に僕の心は冷静で、

もう次にやるべきことを捉えていました。

 

好きな子にフラれた時とも、音楽学校を辞めた時とも違い、

僕の心は、もう折れなかったのです。

 

 

何故ならメンターである起業家から教わった、

ある言葉が僕を支えていたから。

 

 

「辛いことや苦しいことも全てネタにしたら良い」

 

 

この言葉が、父の死や叔父からの脅迫だけでなく、

過去の全ての経験を武器に変えて前へ進む勇気をくれたのです。

 

もしバイトを辞めたあのとき、運命の出会いがなかったら、

もしネットビジネスの世界に入って勉強していなかったら、

僕は襲いかかる重圧に耐えられなかったでしょう。

 

 

それに僕は、もう前へ突き進むしかありませんでした。

 

迷ってる暇も悩んでる暇も無かった。

 

そもそも自信も、お金も、家族も、家も、

何も無いどん底の状態だったから、

怖いものなんてありませんでした。

 

 

そして僕の怒涛の復活劇が幕を上げたのです。

 

 

 

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管理人:カズーイ


こんにちは。カズーイと申します。

僕はコミュ障、中退、ニート、父の死、借金、叔父の脅迫、夜逃げと、壮絶な人生を歩んできました。

しかし、どん底からたった6ヶ月で月収100万円を達成。現在はパソコン1台で月200万円以上を稼いで自由な人生を送っています。

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・2013年10月サイトアフィリで100万円突破
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